ナビスコ決勝の「不祥事」・・・騒ぎ過ぎじゃないんだろうか?

 筆者は、川崎フロンターレを長年応援している。当然、先日のナビスコカップ決勝も見に行った。個人的には、その試合内容にもツッコミどころ満載な気分なのだか、それよりも敢えて、今現在「社会的問題」となってしまった件について言及したい。


 例の、フロンターレの選手が、表彰式において「非礼」な態度をした、という件である。・・・ただ、しかし、実は私はこのシーンを実際に見ていない。FC東京がカップを掲げるシーンを見たくない、という以上に、「負けた」のに表彰台に上がらなければいけない、そんな「辛い」フロンターレの選手達の姿を見たくなかったために、試合が終わってすぐにスタジアムを出たからである。・・・しかしまさか、そこでの「態度」とかが、後でこんな「大騒動」になろうとは。。

 実際に見てもおらず、なおかつ映像でも確認していない(録画はしていたが、帰宅してすぐに消去した)ので、伝聞以上の事実は知らない。というわけで、今回の「非礼」の件について、私が認識しているのは以下の事項だけである。

 1 表彰式で、フロンターレの選手の幾人かが、かけられたメダルをすぐ外したり、握手を拒んだりした。
 2 更に、ガムまで噛んでいた選手までいた

 こういった「行為」をした事で、Jリーグや大会スポンサーなどにチームや選手達が実際に謝罪に行ったり、準優勝賞金の5000万円を返還する、などという騒ぎになっている。・・・しかし、フロンターレを擁護する意味ではなく、単純に私はこう思う。

「騒ぎすぎなんじゃないの?」

・・・と。

 そもそも、日本サッカー界は、元々頭が固すぎる、と、個人的に強く思ってきた。ユニフォームの胸スポンサーに、パチンコ業界やアルコール商品を一切認めない、などという話が、端的な例である。確かにパチンコ業界などは、裏にヤクザとのつながりがある等、黒い噂の絶えない業界ではあるが、パチンコ業界全てがそうというわけではないし、そんなレベルから目くじらを立てているようでは、街に数多くあるパチンコ店や、そこに通う人達を、真っ向から否定するようなものではないか。

 アルコール商品を認めない、という話については、もうあきれるしかない、というレベルになってしまっている。世界のサッカーを見渡してみても、胸スポンサーのみならず、UCLやEURO、W杯の大会スポンサーに至るまで、アルコール・メーカーは欠かせない存在となっている。そういう「事実」を無視して、相変わらず「青少年の教育に悪いから」的な理由だけで拒否し続けている日本サッカー界は、ホントに「頭が固すぎる」以外の何物でもない。


 今回の一件にしたところで、そうである。さすがに、表彰台でガムを噛んでいたり、握手を拒否した、などという件には私も眉をしかめるものの、端的に言ってしまえばその程度(眉をしかめる)の問題にしか思えないし、報道で主問題的になっているメダルをすぐに外した、という件などは、何故こんなにも「問題」ととらわれるのだろう?、と強く思ってしまう。例えば、98/99シーズンのUEFA Champions League決勝、バイエルン対マンチェスターU戦において、劇的な「敗北」を喫したバイエルンの、当時も現在も著名な選手であるマテウスは、表彰式で準優勝のメダルをかけてもらったあと、すぐさまメダルを外したのだが、こんな風に問題視されることはなかったと記憶している。むしろ、この行為は、「それだけ悔しいことの現れ」的な報道すらされたはずであった。・・・これに比して、今回の「大騒ぎ」ぶりは、一体何なのだろう!?


 そもそも、こういったことが必要以上に「大騒ぎ」されてしまう要因のひとつは、日本サッカー界が、変な義務感にとらわれて、「青少年育成のため」などという、高野連が高校球児達を無理矢理坊主頭にしていることと同レベルな、「稚拙な信念」を持ってしまっていることが原因なのではないかと思う。「青少年育成のため」、選手達はお手本となるような、品行方正な大人であるべきだ、という論理だ。・・・しかし、ことサッカーにおいて、こういったことを選手達や実際のプレーに当てはめるのは、甚だ無理がありはすまいか?

 サッカーは確かに、ことある毎に「FAIR PLAY」と叫んではいるが、実際のピッチで行われていることは、相手のファウルを誘うためにわざと大げさに転んだり、PKを得るための「シミュレーション」などという行為があったり、更に言えば、相手の得点チャンスをつみ取るため、敢えてイエローカードが出ることを承知で相手に荒々しいタックルをするような「プロフェッショナル・ファウル」と呼ばれる行為さえ存在するのである。そういった「現実」を無視して、日本だけ「サッカー選手は、青少年育成の模範として、品行方正であるべきだ」と叫ぶのは、無理や矛盾が多すぎることではなかろうか?


 どちらにしても、今回の「騒動」は、結局日本サッカー界が、「青少年育成のため」などという、「余計な義務感」、「サッカーには不適切なスローガン」を、不必要に抱え込んでいることが「原因」になってしまったと、私には感じられる。もちろん、今回の一連の「不祥事」が「不祥事」である事実は認めるが、それにしても「ここまで騒ぐことはない」と、強く思ってしまうのだ。せいぜい、内部機構内での譴責処分および軽い罰金、という処理で十分な話ではないだろうか?そんな話が、ここまで「大騒動」になってしまったのは、明らかに「頭の固すぎる」日本サッカー界の体質によるものであり、それを二流以下のジャーナリズムが更に火を煽るように面白おかしく報道している結果であるに過ぎない。


・・・それにしても、日本サッカー界の「青少年育成のため」とかいう話を聞く度に、いつも思う。日本サッカー界の重鎮達は、では、日本のサッカーがどの試合でも一枚もイエローカードが出されることなく、相手のファウルを誘うようなプレーが皆無となり、失点の危機に陥っても「プロフェッショナル・ファウル」をする選手などひとりいない、という状況になれば、果たして彼らは満足するのだろうか?、と。そんなのは「サッカーではない!」と、私は強く思うし、仮にそんな状況が出来たとしても、そんなサッカーをしてる国の代表は、W杯出場すらままならないはずなのだが・・・・・・。
by SocialDead  at 16:27 |  叫びとたわごと(単なる雑記) |   |   |  page top ↑

3度もいじめられた経験のある著者が思うこと −− 「いじめ自殺は、ある意味正しい選択である」

 私は自分の過去をつづった文書を公開しているが(サイト)、そこに書いてあるとおり、事実として、私は今までの人生で、3度もいじめを受けている。1度は小学3〜4年の時、1度は中学1年の時、そして3度目に至っては、何と精神科デイケアにて受けてしまっている(診断はされてないが、この件はPTSDだと確信している)。いじめに「類すること」まで範囲を広げると、更にもっと項目を増やすことが出来る。高校生活全般での「冷ややかな仲間はずれ」(偏差値がそれなりに高い高校だったので、露骨な「いじめ」こそなかったが、その代わりに、ある意味「丁重に」「仲間はずれ」された)や、いじめ関連のボランティアにおける「裏切り」(明確にPTSD認定されている件)などを中心に、枚挙に事欠かない。

 そんな「いじめられ」経験豊富な私が、危険な発想だとわかっていつつ、確固たる思いとして述べる主張はこうである。

−−「いじめ自殺は、ある意味正しい選択である。」
−−「のみならず、とても勇気ある行動であるとすら言える。」

 なぜここまでのことを思ってしまうのか・・・。豊富な「いじめられ」経験に基づき、自己分析してみたいと思う。


 まず第一に、「いじめられる人間」というのは、こと日本においては、周りが「変わっている」と思うような人間であることがほとんどである。「いじめる」人間の立場からすれば、「ウザい」とか「浮いている」とか思わされる人間である、と言い換えることが出来る。
 しかしそもそも、「いじめ」を受ける段階の以前に、「変わっている」と思われる時点から、その人間の不幸は始まっている、と言っても過言ではない。「いじめ」の代表的舞台である、小学校の場合を例に取ると、だいたい「いじめ」のターゲットにされるのは、マジメ過ぎる子供であったりとか、友だちとうまく付き合えない子供だったりすることが多い。そして、この段階で既に、こういった子供の「不幸」は始まっている。

 「マジメ過ぎる子供」というのは、そもそも、何だかの異常が家庭や周りの環境にあるという可能性が高い。子供−−特に小学校年代のそれ−−は、多少わがままなくらいがある意味「当たり前」であって、それは家庭や周りの環境がある程度「正常」な状態で、初めて許されることである(当の小学生本人は全く意識しないことではあるが)。・・・逆に言うと、家庭や周りの環境に何だかの異常があると、子供は「当たり前」でいられない。−−例えば、親が暴力(DV)等を振るうような家庭であれば、当然「わがまま」ではいられないし、また親が不必要にしつけに厳しかった場合などでも、子供は「怒られる」のを回避するために、親が期待する「姿」である「マジメな子供」を、「ほぼ無意識の内に」「演じてしまう」。もちろん、家庭や周りに「異常」がある場合の子供のケース、というのはこれだけではないが、少なくとも、周りから見て「変わっている」と思われるような子供が出来る要因としては、充分である。そして、そういった「変わっている」子供が、「学校」では「いじめ」のターゲットにされてしまう・・・。不幸の2重苦、3重苦もいいところである。

 そしてこういった子供の「不幸」は、おそらく、それ以後の人生も続いていってしまう場合が多いのだ。まず、「いじめ」を受けたことによって、人との付き合い方を正しく学べない、という弊害が起こるし、家庭や周りの環境にある「異常」が治癒されなければ、その子供の「変わっている」度合いは更に増すであろうから、この2つのファクターが混じり合えば、2度目3度目の「いじめ」に遭う可能性は限りなく高くなってしまう。そして実際に更なる「いじめ」を受けてしまえば、こういったことは、デフレ・スパイラル以上の悪循環となって、その子供をどんどんと底なし沼へ引きずり込むことだろう。そして現実問題として、更に厳しいことには、社会人になってからすらも「いじめ」は存在する、ということだ。社会人以降にもなると、自殺まで行かない限り、まず報道されたりはしないから、事実としての認知度は低いが、確実に社会人以降も「いじめ」という概念は存在するのである。−−そして、こういったことを「いじめられ」やすい人間が「認識」することは、正に「破滅の歌」を大音量で聞かされることに他ならない。・・・だって、いくらがんばって生きてみても、「救われようがない」ってことなのだから。

 こういった子供が、その不幸すぎる境遇に「不条理さ」を覚え(だって、当人にはこうなった「責任」はほぼ皆無なのだから)、例えば思春期あたりに、家庭内暴力なり不良になるなりの手段によって、無理矢理にでも「現状打破」の行動に訴えることが出来るのなら、まだ救いがある。・・・しかし、今回取り上げた「マジメ過ぎる子供」というのは、まずそんなことは出来ない。「マジメ過ぎる」子供にとっては、「家庭内暴力」なり「不良になる」なんてことは、「犯罪」と同じ以上に「悪いこと」であるから、とてもそんな「犯罪行為」などは出来ないからだ。こういった子供は、それまで重ねてきた「マジメ過ぎる」人生によって、「理性」が過剰に発達している場合が多いから、なおさらである。・・・結局、こういった人間は、過去も現在も未来も、「救われようがない」のである。


−−話を戻して、「いじめ自殺は、ある意味正しい選択である」、という主張を改めて検証しよう。そもそも、いじめを受けて自殺を考えるような子供は、「マジメ過ぎる」子供である場合が多い。「マジメ過ぎる」からこそ、過剰に思い詰めてしまって(特に「自分が悪い」という方向に)、「自殺」にまで至ってしまうのだ。そしてそんな子供が、仮に生き続けたとしても、待っているのは上記に述べたような「救われようがない」未来なのである・・・。そんな、「『救われようがない』未来」に生きている私が言うのだから、少なくとも間違いではない。


 不幸のデフレ・スパイラルの中で生き続けてしまった私は、いつも思う。「最初に『自殺したい』と思った時(小5の時)、自殺していれば、どんなにマシだったか・・・」と。今に至るまで自殺しなかったのは、単に「恐かった」からだけであって、そんな理由で生き続けても、いいことがないばかりか、更に更に傷つけられた私などは、いつも思う。「『いじめ自殺』は『とても勇気ある行動である』」と。私は昔も今も、そんな「勇気」をひたすら欲してやまない・・・・・・
by SocialDead  at 17:41 |  叫びとたわごと(単なる雑記) |   |   |  page top ↑

私の「大嫌い」な芸能人リスト

 たまにはこういうことも私は書く。今現在、私が「嫌い」「嫌だ」と思っている芸能人のリストとその理由だ。


★FUJIWARAの藤本(フジモン)

 ガヤ芸人とか言われてるらしいが、はっきり言って、単にうるさいだけ。必要以上に画面に出てくるから、正直うっとうしい。
 更に言えば、実際のチャラ男の「実情」を知らないで、チャラ男ファッションをしてるのもウザい。東京圏の私鉄(高校生の通学に使われる)などに乗っていればわかることだが、そもそもああいうシャギー系の髪型や、更にはああいったチャラ男系ファッションは、実は東京圏の高校生周辺世代の、「横並び」現象の産物なのだ。東京圏の私鉄に乗ると、ああいう髪型やファッションをしてる男子をよく目にする。しかも1人だけでなく、複数人、似たような格好をしているのだ。
 ・・・そういう、実は「飛び抜けた」ように見えるファッションも、実は「周りから浮かないため」という、日本人の悲しき「横並び」主義の産物でしかないのだ。そういった「実情」を知らないで、チャラ男ファッションをしている藤本を見てると、腹が立ってしかたがない!


★土田晃之

 2列目、3列目以下に徹する、いわゆる「ひな壇芸人」としての突出した能力は認めるが、彼があちこちで見せる、特にワッキー(ペナルティ)に見せるような「行為」は、はっきり言って「いじめ」である。4人も子供がいる身でありながら、そういった事をしてる事に対して、何の罪悪感もないのだろうか?
 実は、彼については、一度その「いじめ」ぶりを詳細に言及したこのブログでの記事を書いたことがあるのだが、「ちょっと言い過ぎかな?」と思って、すぐその記事を未公開にした、という個人的経緯があった。しかしそれでも、アクセス解析で、「土田晃之 いじめ」なんていうキーワードがあったのには驚いた。それだけ、私と同じような思いをしている人が多いという証左だろう。こういうことを弾劾しても、彼は「お笑いのためだから」などと、いつも使われる常套句で逃げるのだろうが、彼の4人の子供が、彼の手段を応用した「いじめ」をする/受けることがあったら、さて彼はどうするのだろうか?
 ついでに書いておくと、パソコンを全く使えないくせに、「家電芸人」を「僭称」しているのも笑止である。今の家電店で一番売り場が割かれてるのはどこか?カカクコムやamazonなどで、値段やレビューをチェックしたりするのは、「家電芸人」の常識のひとつではないのか?・・・この2つの疑問だけでも、彼が「家電芸人」を「僭称」している、という事実は明かである。


★マリエ、森泉、DAIGO

 こういう、いわゆる「セレブタレント」は大っ嫌いである。こいつらが出ているせいで、「笑っていいとも増刊号」や、「ぐるナイ」の「ゴチ」を見なくなってしまった。特に森の敬語を使わない(使う必要がなかった)「真性」お嬢様ぶりや、DAIGOが証明し続けている「結局、政治家は、不当にお金持ち」な事実は、本当に感じる度に「ムカツク!」以外の何物でもない。


★ヘキサゴンのおバカ達(特に上地と木下)

 何が嫌かって、こいつらと来たら、「成功」するにあたって、「自らの努力」など全くもってしていない、という「事実」である。一連のヘキサゴン番組内でのボケ回答・動作から、羞恥心・Paboなどのアイドルブレークに至るまで、彼らはほとんど、島田紳助とそのブレーンが用意した舞台に乗って、言われたとおりに「気ままに」踊っただけである。こいつらの「成功」は、島田紳助とそのブレーンの「マーケティング手腕」の勝利以外の何物でもなく、奴らはそれに際して、何の努力も苦労もしていない。「歌の歌詞や踊りを覚えるのに苦労した」程度の「苦労」など、「苦労」とは言わない!!
 上地については、何かの拍子で見てしまったネットニュースで、「高校で松坂の女房役を務め、彼自信も、大臣の家に遊びに行ったぐらいの名家の生まれである。そんな彼が頭が悪いはずがないのだ」などという論調を見た時に、決定的に大嫌いになった。「名家」かどうかなど、あのバカさには関係ないし、そもそもヘキサゴンの中でも更に突出したあのバカっぷりは、1回でもヘキサゴンを見れば明らかなことである。恐らくこの記事自体、上地に「媚びる」意味で4流芸能記者が書いたものだろうが、そういう「行為」が上地に行われている事自体、不快感を禁じ得ない。最近に至っては、ホントにアイドル「ぶって」いるのが目に余るぐらいで、本当にうっとうしい以外の何物でもない。
 木下については、そもそもああいうヤンキーな人間自体、私は苦手だし、何より彼女を知って衝撃だったのは、一桁の引き算すら出来ない!、という事実である。はっきり侮蔑的だとわかって言うが、一桁の引き算すら出来ないなど、同じ人間とは思えない!更に最近は、前述した藤本と付き合っているなど、その頭の悪さぶりを更に露出させている。ホントにこんなのは、見ていて(見させられて)不快以外の何物でもない!!
by SocialDead  at 17:13 |  叫びとたわごと(単なる雑記) |   |   |  page top ↑

台風の最中、保坂展人が落選したことに乾杯する

 社民党・保坂展人が落選した。落選自体は予想していたのだが、選挙後改めて調べた時に、同選挙区に民主の候補者がおらず、民主の公認を受けていたことにより、10万票以上も票を集めていたのは意外だったが、これもはっきり言って300議席以上も獲得した民主の風に乗っただけの話であり、純粋に社民党、および保坂に10万票もの「信任票」が投じられたわけではない。

 私が保坂の落選を喜ぶ「公的」な理由は、以下の記事を参照。ただし、このブログ全体がコメント/TB共に許してないことや、そもそも更新頻度がかなり低いことなどにより、この記事が保坂の落選を後押ししたとは到底思えないことは、一応言っておく。(そもそもこのブログ自体、1日10view前後程度だし)

http://socialdead02.blog39.fc2.com/blog-entry-77.html


 私が保坂の落選を「私的」に喜ぶ理由は、以下の通り。

・接触していた時期、「いじめられていた」事や家庭事情が複雑な点を吐露していたのにもかかわらず、「見た目」や「年齢」とかのファクターで、ほぼ「無視」されたこと。

・それのみならず、直接会話で「傷つけられた」ことも実際にあったこと。

・そして何より、彼が生み出したモノによって、最終的には「PTSD」と認定されるほどの心の傷を受けてしまったこと。(この件がPTSDであることは、最低1人の精神科医から認定されている)

・そしてそのPTSDにより、完全に生きる気力やエネルギーといったものを奪われ、ずっと自殺観念やトラウマに襲われる日々を過ごさざるを得ない状況に陥れられたこと。そしてそれは、残酷にも現在に至るまで続いている。


 この「私的」な面については、「逆恨み」だの「筋が違う」だのという指摘は、もうずっと前から受けている。それでもあえてこういうことを書くのは、第1に、PTSDをはじめとする受けた傷が半端ないことにより、その傷がいまだにトラウマとしてうずき、フラッシュバックや悪夢等にうなされる自分がいて、そのたびに「恨み」の感情を増幅されてたまらないからである。

 そして第2に、これこそ「逆恨み」とか「筋が違う」ことへの論理的反論だが、前述したPTSDの原因および舞台となった、「彼が生み出したモノ」が詳細に記述・利用されている保坂の著作物が、まだかなり販路に乗っているからである。当時も今も、「それ」によって金銭、および社会的評価の向上等の「利益」を得ている保坂が、私の件について「何の責任もない」などというのは論外であると考える。もし私が、彼を個人的に民事訴訟できる金銭的余裕があれば、謝罪のみならず、そういった書籍の出版差し止め、および回収を要求するだろう。そうでもない限り、私自身が納得しないことはもちろん、第2、第3の被害者が生まれる可能性が消えないからだ。いや、すでに居るかもしれないが・・・


 とにかく、選挙日翌日の台風直撃の最中、私は上記のような理由で、保坂展人が落選したことに乾杯する。・・・どうせ保坂が、今後それなりに社会的評価が高い地位や肩書きを持つのはわかっている。かなりのラッキー議員ぶりだったとはいえ、3期も衆議院議員であったことや、その間数々の「偽善」を行ってきた事実が、そういう方面へ後押しすることは、いくら私でも予期できることだし、保坂もこういったことは計算済みだろう。・・・そして私といえば、こういった個人レベル程度のブログに、こういった反抗的な文書を書く程度のことしか今もこれからも出来ず、そしておそらく、保坂によって受けたトラウマやPTSDに追い立てられて、いつか自殺するのだろう。いや、そもそも、ここまで自殺しなかった方が我ながらホント不思議だし、だいたい、PTSDを受けて以降、私の心に平穏が訪れたことは皆無だ。・・・だから本当に、昔も今も、何故自分は死んでしまわないのだろうと、いっつも悩むのである。

・・・しかし、そういったことは、とりあえず今夜「だけ」でもいいことにしようではないか。とにかく私は、今夜は保坂展人の落選に乾杯する。もちろん、一人だけでだ。こんなこと、誰も協調してくれないのは、鼻からわかっている。いや、そういう状況に、PTSD以降、常に追い込まれてきたから、これぐらいは「普通」である。・・・それでも、PTSD以降、そもそも「乾杯しよう」なんて事自体全く無かった私の人生において、今日は確かに、類い希な「乾杯」できるチャンスなのである。・・・だから今日、私は保坂展人の落選に乾杯する。それ以外にも色々理由なり何なりはあるが、とりあえずはこれで十分ではないか・・・。

 そういうわけで、今夜私は保坂展人の落選に乾杯する。そういうわけである。
by SocialDead  at 18:33 |  叫びとたわごと(単なる雑記) |   |   |  page top ↑

「関根勤のカンコンキンラジオ」・・・。何かが足りないと思うのは、私だけ?

 一応、これ、「コサキン」カテゴリとして話します。・・・っていうか、まだコサキン「消滅」なんて話、私は受け入れられませんからっ!!

 コサキンの代わり?となるべく、ネット配信でスタートした「関根勤のカンコンキンラジオ」。もうすでに2回配信されてますが、1回目が40分以上あるのに、2回目が10分ちょいって、どういうバランスなんでしょう?・・・まあ、「ネタ」となるメールやハガキが来てないか、あるいは収録自体が2週に1回以下のペースなのか、その双方なのか、でしょうけど・・・

 でもやっぱ、このラビーのネットラジオを聞いてて、つくづく思ってしまうのが、

「ムックンがいてくれたら・・・・・・」

・・・ってことなんですよねぇ。ホント、このラジオにムックンの声が少しでも入っていれば、どれだけコサキンリスナーとしては癒されるか。。

 実際、私、最近よくコサキンの夢を見るんですよね。いつも通り、バカなことばっか言ってる2人の声が、iPodから聞こえてくる夢。。(04年終盤より、私はコサキンをデジタル録音して、iPodに入れてました)。この夢から醒めるたびに、「ああ、コサキンは終わったんだった。もう、あの2人のバカな話は聞けないんだ・・・」って、シュール過ぎる気持ちにさせられてしまいます。


・・・コサキン終了については、色んな論があるし、決して継続や復活の話が「賛」だらけでないのも知ってます。それには、難しい「大人の事情」も多分に絡んでる、っていう話もわかってます。・・・わかってるつもりです。・・・・・・でも単純に、私はこう叫びたいのです。

「またコサキンが聞きたいよぅ〜〜〜!!!」

・・・・・・ホント、何とかならないもんでしょうかねぇ??(涙)
by SocialDead  at 17:35 |  コサキン |   |   |  page top ↑
このブログについて
管理人(SocialDead)が「精神的死者、社会的死者」すなわち「精神的病人」ですので、更新等はかなり不定期です。ドライアイになってしまったので、更に不定期になっています。
amazon Recommend
最新記事
検索フォーム
RSSリンクの表示
アクセス解析タグ