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いじめられた経験がある人には、見てるだけでつらい「リアクション芸人」

 「リアクション芸人」なる人種が芸能界には存在する。具体的な名前を出せば、出川哲朗やダチョウ倶楽部の上島竜兵、南海キャンディーズの山里亮太などだ。

 彼らは、誰かに「いじられる」ことで、その本領を発揮するという。何かミスしたり何なりのきっかけから、他の芸人に「いじられ」て、そこで発揮する「リアクション」こそが面白いのだという。・・・・・・だがしかし、過去にいじめられた経験のある人ならすぐにわかるだろうが、この構造自体が、全くもって「いじめ」そのものではないか!?


 「いじめ」の基本的な構造のひとつは、他の子供と比べて若干「浮いた」子がいて、その子に何らかの「アクション」(=「いじる」)をすると、過剰な、あるいは変わった「リアクション」が返ってくるから(少なくとも「他の子供達」にとっては)、面白がって何度も何度もその子に「アクション」(=「いじめ」)をしかける、という話である。これはまさしく、「リアクション芸人」達が繰り広げる「芸風」と、何ら変わるところがない。


ところが、こういった「リアクション芸人」に関しては、「アクション」をする芸人達だけでなく、「リアクション」をする芸人達すら、「これは『いじめ』ではない」と、やたらと主張することが多い(そういう「主張が多い」こと自体が「いじめ」であることの証左だが)。「リアクション芸人は、他の芸人がいじって(=「アクション」)やらないと、面白くならないのだから」とか、「いじってもらわないと、俺たちリアクション芸人は死んでしまう」とか言うのだ。それは真実かも知れないが、こういった主張と、「リアクション芸人」を囲む「構造」がほとんど「いじめ」である事実は、また全然別の話であり、少なくとも「いじめに『類すること』」をしている事実に対する言い訳にはならない。


 どちらにしても、テレビに出る側がいくら「違う」と主張しようと、結局テレビというのは現実に反映される強烈な鏡の光なのだから、テレビで行われる事が現実で真似されるのは、避けられない事象である。・・・だからこそ、「リアクション芸人」の「いじめられっぷり」も、いくら芸人達が否定しようと、学校や職場などの「現実」に「反映」されてしまうし、そういった事を感情的に「わかってしまっている」いじめられた経験がある人達は、そういった「リアクション芸人」ぶりを見る度に、心を痛めつけられるのだ。


・・・ある番組で、ダチョウ倶楽部3人が出演していた時に、上島竜兵が自分の「リアクション芸人」ぶりについて、「ダチョウ倶楽部内では、『いじめ』にならないように、お互い気をつけている」的な発言をしていた。それは確かにそうかも知れないが、それはあくまでダチョウ倶楽部内に「限った」話だろう。実際、上島竜兵が「いじられる」場は、ダチョウ倶楽部内だけでなく、むしろ他のメンバーがいない場(番組)の方が遙かに多いはずであり、そこで「いじって」くる他の芸人達が、そんな「いじめにならないように」なんて心遣いをしているとは、到底思えない。この件だけ捉えてみても、結局「リアクション芸人」を囲む構造自体に、「いじめ」が内包されていることは、疑いようのない事実である。


 いじめられ経験が豊富な私は、「リアクション芸人」の「いじられ」ぶりを見る度に、自分のいじめられた時の事を思い出させられて、その都度心を痛めつけられている。・・・こういう事を言うと、芸能界側からは、「そんな『いじめ』をしてるつもりは全くない」とか、「そんなことまで気にしていたら、『お笑い』が死んでしまう」などといった常套句的反論が返ってくるのだろうが、いい加減そろそろ、前述のダチョウ倶楽部がメンバー内でそうしているように、「リアクション芸人」を囲んだ際に、最低「いじめにならないように」程度の気遣いはしてくれたっていいのではないだろうか?テレビに出られる芸人、という段階で、様々な事に気を配りながら発言なり行動なりをしている人がほとんどなのだから、そういう人達にとってそれは、そんなに難しいこととは思えない。・・・いい加減、「お笑いといじめは関係ない」などという「大嘘」を言うのはやめて、最低「いじめにならないように」程度の気配りをしてくれたっていいじゃないかと、最近切に私などはそう思うのである。
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