記事一覧

BS「コサキンDEラジオ」終了・・・。これは旧コサキンリスナーへの「レクイエム」だったのか??

 BS朝日での「コサキンDEラジオ」が、2013年4月7日の放送をもって終了となった。最終回は、特に終了の雰囲気も告知もなく、ただ最後に「『コサキンDEラジオ』は本日で終了となります。ご覧頂きありがとうございました」というテロップが出ただけという、何とも唐突な終わり方になっていたが、これはBSならではのゆるさなのか、単に都合でちゃんとした最終回を収録できなかっただけなのか、色々謎といえば謎ではある。


 ・・・それはともかく、正直言って「コサキンDEラジオ」については、特に旧来のコサキンリスナーにとっては、「がっかり」な部分が多すぎた放送だったのではないだろうか?一応、変則的な放送ながらも、3年ほど続いたという点は評価すべきかも知れないが、結局昔から言われていて、Wikipediaですら言及されている、「コサキンの世界はテレビでは伝わらない(伝えにくい)」という事実を、改めて証明するかのような内容に終始してしまった。


 「がっかり」な部分は他にも色々あるが、結局最初から放送終了に至るまで、リスナーネタを使ったコーナーがほぼ皆無だった、というのが一番「がっかり」な点だろう。初期にtwitterを使った「twitterでトーク」などというコーナーがそれなりの頻度でありはしたが、それ自体が終了間際の極々短い時間を使ったモノだった上に、twitterであるが故に、どうしても内容的にラジオ時代のネタに及びようがなかった。その後、ヤバターというシステムを使ったネタ投稿の募集に切り替わったものの、これを紹介した機会自体が、本当に数えるほどしかなかった。・・・正直、どちらのコーナーとも、その頻度の低さや中身の薄さから、「(旧)コサキンのリスナーネタは、もう絶対に使えない」などと、旧リスナー達に教え込むかのような印象すらあったぐらいだ。


 確かに、ラジオ時代のリスナーネタは、間違いなくコサキンの真骨頂部分ではあるが、テレビで紹介するには多少過激すぎ・ふさげ過ぎだったのも事実。特に特定芸能人を名指しした内容などは、例え中身がどんなに「中2の放課後」的な、単に「おふざけ」がちょっと過ぎた話だったとしても、絶対にテレビでは流せなかっただろう(宇津井さんの「スジ」ネタとか、朝丘雪路さんの「ナン」ネタとか・・・)。


 ・・・ただしかし、しかしである。そもそもコサキンは、ネタ採用常連者を頂点として、かなり頭がいい人達がリスナーとして多かったのもまた事実。そういう人達にとっては、「テレビで放送できない」ラインを回避しつつも、それでも面白いコサキンネタを作ることは可能だったのではないだろうか?・・・なのに、「コサキンDEラジオ」では、そこに最初から蓋をしてしまったも同然の話になってしまっていた。これでは本当に旧リスナーは「がっかり」だし、番組としての「面白さ」も頭打ちになるのは、ある意味最初からわかっていた事だった。



 ・・・こういう事実を反芻していくと、20年以上も本家コサキンを聞き続けたヘビーリスナーである私などは、タイトルに書いたとおり、こう思ってしまう。

「コサキンDEラジオ」とは、旧コサキンリスナーへ向けた「レクイエム(鎮魂歌)」だったのか??

・・・と。実際、コサキンに未練があった人でも、「コサキンDEラジオ」の3年間でそれが吹っ切れたという人は少なくないだろうし、そういった感情を「リスナーネタを絶対に使わない」という番組基本方針が後押しした事は間違いないだろう。・・・筆者自身、書いていて多少うがち過ぎな感情が交じっていることは自覚しているが、それでもやはり、結果としてそういうことになってしまった、という事実は否めないと思う。


 「レクイエム」と敢えて書いたもうひとつの理由として、今回の「コサキンDEラジオ」終了が、「これ以上の『コサキン』展開はない」という事をかなり暗に訴えている、という印象を、個人的に相当感じたからである。スポット的な「コサキン」の表れはあっても(テレビで瞬間的な2人の共演など)、レギュラー放送レベルでの「コサキン」はもはやあり得ない、と、今回の「コサキンDEラジオ」終了はそう語っている様な感じを、個人的に強く感じてしまったのだ。・・・実際、放送終了のタイミング的に、小堺・関根両氏とも、夏の舞台に取りかかり始める時期でもあるし、それでなくても「一流芸能人」である両氏は多忙なわけなのだから、仮に「コサキン」的なものの再復活の動きがあったとしても、夏の舞台が終わるまでの半年、そして今までの流れから見るに、多分1年ぐらいはそういった動きは表に出てこないだろう。そして1年経った頃には、「コサキン」関係者は「もう『コサキン』需要はなくなった」と判断して、本当に「コサキン」は事実上消えてしまうかも知れない。・・・・・・こういった事情を個人的に想像してみて、総合的に特に無理がある流れではないと判断してしまった自分がいた時点で、私は、「コサキンDEラジオ」は「レクイエム」だった、と思わざるを得なかったわけである。



 ・・・まあ、こういった、ラビーのそれとは全く対極の、ネガティブな「妄想」をしながらも、それでもこんな予言的思いなど外れて欲しいと、私は2004年末からMP3録音し続けた昔のコサキンを何度も聞き返しながら、結局私はいまだに未練たらたらにそういう思いを抱き続けているのである。例え「レクイエム」はもう奏で終わっていたとしても・・・・・・。
関連記事