記事一覧

私が保坂展人を嫌悪する最たる理由 - 「保坂は『青年革命家』的人間ではあっても、『教育ジャーナリスト』なんかでは決して無い!!」

 私が保坂展人が「作ったモノ」によって「地獄」に落とされて以来、20年近くが経過しようとしている。ここまで時が経ったからこそ、自分の中で新たに発見する思いもあり、またそれらが整理されてもくる。・・・そういう状況に至って、このブログで何度か攻撃している保坂展人について、きちんと言及していなかった重要な部分があったことに気がついた。


 端的に言ってしまうと、保坂展人という人間は、

・「デリカシーが決定的に欠落している人間」
・「デリカシーが欠落している点についても、また彼の経歴からしても、保坂展人は『教育ジャーナリスト』を名乗れるような人間では、決して無い」


・・・この2点が、恐らくは20年前から、私が大声で叫びたかった事なのだ。


 「保坂展人が『作ったモノ』」に関わっていた時、私自身も保坂に直接関わる機会がそれなりにあった。・・・だがしかし、既に最初に会った時に、数々のいじめや家庭内問題に悩まされていたことを打ち明けていたのにも係わらず、保坂の私に対する態度は、よく言っても、それまでのほとんどの人間と同じく、「『外見だけ』で私を蔑視してくる」態度と、ほとんど変わらないものであった。

 これに加えて、「教育ジャーナリスト」としての保坂の普段の行動や態度も、上記に挙げた事を後押しする出来事ばかりだった。・・・インターネットが実質なかったその時代(ダイヤルアップ接続がやっと世に出始めた、という段階だった)においては非常に重要な役割を持っていた彼の「著書」は、ほとんど他人任せな内容に終始していることが内部からは明らかだった。その上、仮に取材なりある程度の救済措置の対象になる子どもがいても、それは基本的に「かわいい娘ばかり」に限定されていた。・・・つまり、「教育ジャーナリスト」としての保坂展人は、その職業に不可欠と言える「デリカシー」という概念が決定的に欠落していたばかりでなく、取材対象やすがってくる子ども達を「差別」すらしていたのである。(私自身という実例を除外したとしても)


 そして、私が「保坂が『作ったモノ』」によって地獄に落とされてから数年後、ADSL以上のブロードバンド・インターネットがそれなりに普及した時代になって初めて、私はWikipediaで保坂の経歴を確認する事が出来た。そしてこう思った。「こんなの、『青年革命家』としての経歴ではあっても、『教育ジャーナリスト』としてのそれじゃ、全然ないじゃないか!?」・・・と。保坂は中学時代に行った政治的行動によって、高校や日本社会の枠組みから「ハブられた」わけかも知れないが、少なくとも同世代の人間とかから「ハブられた」ワケではない。こういう人間が、「青年革命家」の予備軍的な職業なり何なりに就くならともかく、何で「いじめ」とかの被害者の心理を体験も何もしていない立場で、「教育ジャーナリスト」などという職業に就けたのか!?しかも「素」で「デリカシー」が完全に欠落している人間のくせに!!??・・・これもホントに、今となっては大声で叫びたい私の思いの一部分である。


 とにかくも、いまだ「地獄」が続いている私の中で、それを増幅させるだけでしかない保坂展人に対する妄執的思いを少しでも整理するために、最低でもここで主張した様な事を書き記して起きたかったのだ。一応言っておくが、これは私の「地獄」の増幅を「多少」弱めるだけであって、解決的な話になどこれっぽっちもなりはしない。それでも、保坂展人という人間について、美点として映ってしまう「教育ジャーナリスト」という前職においては、実はまるっきり「失格以下」であったという「事実」を、最低限ここに書き記して、自分自身の心の整理としておきたかったのである。
関連記事