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約5年に渡る風間フロンターレ、「風間サッカー」に対する個人的総括

 2017年の元日、天皇杯決勝に初めて到達した川崎フロンターレだったが、同時にその日は2016年シーズン、そして約5年続いた風間フロンターレ体制の最後の日でもあった。スケジュールの都合上、すでに2017年のフロンターレは始動してしまってるわけだが、今更ながら約5年に及んだ風間フロンターレに対する個人的総括な記事を、ここに書いておこうと思う。


 最初にいきなりぶっちゃけてしまうが、私個人は風間監督がやってきたいわゆる「風間サッカー」が、正直嫌いだった。そしてその感情は結局、風間フロンターレが終焉するまで、終始変わることはなかった。大半のフロンターレ・サポには非難を浴びるだろうけど、これは偽ざる事のない、私個人の正直な気持ちである。

 では具体的に「風間サッカー」の何が嫌いだったのか?細かくあげれば色々とあるものの、やはり一番強い思いとしては、

「選手達の自由を、あまりにも奪いすぎていた」

・・・という部分だろう。


 「風間サッカー」は、いわゆるバルサ=スペイン・サッカーの基本であるパスサッカーをベースにしたサッカーである。風間監督のメディアなどでの言動を見る限り、おそらくはパスサッカーをベースにしながらも、そのベースを確立した上で選手達に自由なプレーを、というのが風間監督が掲げる理想のひとつだったと思われるが、正直風間フロンターレの5年間でその境地にまで至れたのは、一部の試合の一部のプレーだけの、ほんの数瞬だけだった様に思われる。

 そもそも「風間サッカー」では、あまりにも理論的な部分で選手を縛り過ぎていた。その理論が難しすぎるからなのか、結局5年の内ほとんどの期間で、選手達が「パスのためのパス」なプレーばかりしてしまっていた印象すらある。

 「風間サッカー」を一番理解していたのは中村憲剛、という話は、内外でよく知られた話だが、正直ケンゴほどクレバーな選手というのは、世界を見渡したってそうそういる存在ではない。ケンゴはもちろんその理解度の高さから、「風間サッカー+『自由』」を獲得していたように思えるものの、そこまで到達していた選手は、5年間を見渡しても、数える程しかいなかったように思う。いたとしても、その大半はすでに「風間サッカー」をある程度理解していた、筑波大出身の選手たちで埋められていたように私には思えた。

 そしてこういう状況が悪い意味で極まってしまったのが、言わずもがなの2017年元旦の天皇杯決勝だった。あの試合、スケジュールの関係からか、後半半ばあたりから両者とも疲労困憊な状態になっていったが、そんな状況に至って繊細すぎる「いつものサッカー」であるパスサッカーを続ける理由などなかった。延長突入を考えても、せいぜい後半40分あたりまでがその限界であり、それ以降はパワープレーでも何でも、とにかく「点を取るため」=「何がなんてもタイトルを取るため」のプレーをすべきだった。それなのに、通常の90分間どころか、とうとう延長後半の120分間が終わるその瞬間まで、フロンターレの選手達はパスサッカーを続ける事ばかり優先させてしまった。疲労困憊状態でそんなサッカーをやってしまった結果、パスミスは「頻発」どころか「必然」な状況にまでなってしまっていたので、対戦相手の鹿島には、守りきるのはさして難しくないとすら思われていたことだろう。

 結局、この天皇杯決勝の内容が表してしまった最たる事実は、結果的にだったかも知れないが、やはり風間監督は選手達から「自由」を相当奪っていた、という事になってしまうだろう。風間監督がメディアで再三「何でもやっていい」と言っていたことが、ちゃんと選手達にも伝わっていたのならば、延長120分間終了まで疲労困憊状態でパスサッカーを続ける、なんて愚行を選手達は選択しなかっただろう。この試合限りで風間監督が退任することから、「風間監督のために」という感情が邪魔した可能性も多分にあるが、それ以上にこの試合で優先すべきは「何がなんてもタイトルを取る」という感情であることは、フロンターレの選手であるなら全員がわかりきっていた事だったろうと思う。それなのに、そういう感情すら抑え込んでしまったという事実は、結局やはり風間監督が選手達から「自由」を相当奪っていたというファクターが、想像以上に「重症」だったことを如実に物語ってしまった。


 つまるところ、風間監督が要求した「風間サッカー」の理想形に至るには、監督も選手も力量不足だった、と言わざるをえない。「風間サッカー」の理想を実現するためには、ケンゴ並みとまでは言わないまでも、それに準ずるぐらいのクレバーさが選手達全員に必要だったし、それ以上に、指導者である風間監督には更に更に高度な指導力が必要だったように思う。・・・厳しすぎるだろうか。確かに厳しすぎる物言いかもしれない。実際、風間監督や「風間サッカー」は、タイトルにこそ手が届かなかったものの、相当な結果は残しているのだし、複数の選手達からその指導力の高さを賞賛されてもいるのだから。しかしやっぱり、そもそも「指導者」に求められる資質のひとつに、自分の考えを相手のレベルを正確に推し量った上でわかりやすく適切に説明する、というのが基本としてあると私は思う。そういう意味では、特に「相手のレベルを正確に推し量る」という点、この場合でもっと具体的に言えば「選手達に歩み寄る」という観点において、風間監督という指導者はその要素を決定的に欠いていたように思われる。そう思える節が、あまりにも多すぎるのだ。

 「風間サッカー」が相当な高みにあるものであった以上、指導者である風間監督には相当傑出した指導力が必要だったと思えるが、残念ながらこと「選手達に歩み寄る」という観点において、その指導力が足りないものになってしまった、と私個人は感じてしまっているというわけである。「風間サッカー」がもう少し難易度の低いもの、あるいは風間監督がある程度「選手達に歩み寄る」ことができていれば、風間監督はおそらく複数のタイトルをフロンターレへもたらす事が出来ただろうし、そもそも選手達が天皇杯決勝で疲労困憊状態でパスサッカーを続けるなんて状態が生まれることはなかったと思う。


 途中でも書いたとおり、ここでの批判があまりに厳しすぎる話であることは、書いている私自身も承知している。それでもやはり、風間体制下では選手達の「自由」があまりにも奪われ過ぎていた、という事実とその背景だけは、個人的にどうしても看過することができなかったのだ。・・・願わくは2017年、鬼木新監督の新体制フロンターレでは、「風間サッカー」をある程度ベースにすることは仕方ないとしても、選手達の「自由」や「自主性」といったものを多分に大切にして欲しいと、私などは強く強くそう思うのである。
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