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今さらながらに書く、「コサキン終了」に対する個人的見解

 このブログのアクセス解析とかを見てると、それなりの数の人が「コサキン 終了」の検索ワードで、結果的に私個人が書いた「BS朝日」での「コサキンDEラジオ」の終了に関する記事にたどり着いてしまっているみたいだ。

BS「コサキンDEラジオ」終了・・・。これは旧コサキンリスナーへの「レクイエム」だったのか??
http://socialdead02.blog39.fc2.com/blog-entry-138.html


 ただ、実際の所、そういう検索ワードでたどり着いている人達は、コサキン本体である「TBSラジオ」での「コサキン」終了について調べたいんだろうと思う。個人的にも、さすがにコサキン終了から8年も経って、そのへんの心情は整理されてもいるので、そろそろ「TBSラジオ」での「コサキン」終了について、個人的見解を書かせてもらおうと思う。ある意味人気取りな記事だけど、単純にこういう事をまとめておきたい、という個人的気持ちはもともと持っていた。ちなみに私は、一応約20年コサキンを聞き続けたヘビーリスナーである。


「コサキン」が終了してしまった理由として、推察できること…


[1] 単純に「リストラ」

 最初から身も蓋もないけど、「コサキン終了」の一番の理由は、やっぱりこれだろう。何しろあの「笑っていいとも」でさえ、2014年に終了してしまったぐらいなのだ。そんな不況過ぎる状況の中、小堺一機・関根勤という2人もの「一流芸能人」を抱えていたというのは、コサキンが終了した2009年には既にTBS局内で相当な経済的圧迫になってしまっていたであろう事は、想像に難くない。今になって考えると、地上波テレビよりはるかに財政状況が急落していたラジオ業界で、よく2009年まで小堺・関根両氏を抱えた番組を続けられた、という感すらあるぐらいだ。

 とはいえ、理性的にそう考えられはしても、個人的感情として、「よくもコサキンを終わらせたな」という恨み的気持ちは拭えないものではあるけど…



[2] 小林綾子・木村大作を「引っ張りすぎた」

 おそらく、いまだに旧コサキンリスナーの中でわだかまっている感情だと思うが、コサキン終盤の時点で、あまりにも小林綾子と木村大作の2人を「引っ張りすぎた」、というのは、確実に番組としてのコサキンの足を引っ張ったと思う(この場合、小林・木村の両氏が悪いわけではもちろんない)。最初の1~2回だけならまだしも、当時ほとんど準レギュラー的に、しかも専用コーナーまで作って小林・木村の両氏を何度も招いていた、というのは、一部のリスナーこそ賛同せよ、大半のリスナーの反感を増幅していってしまったと思う。実際私個人も、小林綾子については「もういい加減にして!」と当時言いたかったし、木村大作については、正直あのダミ声を何度も公共の電波で流すのは犯罪的だとすら思っていたぐらいだった。

 ただ、実はこの件については、個人的にかなりうがった見方の見解を別に持っている。それは、当時TBS局内でコサキン終了がすでに決定的な状況になっていて、それなら最後ぐらいはコサキンの2人の好きにさせよう、みたいな感じが番組スタッフ内にあったのではないか、という事だ。実際、長いコサキンの歴史上、コサキンの2人の方からリスナーに仕掛けることは大概受け入れられない、というのは「事実」として確立されていたはずで、それなのにわざとその流れに逆らうような事をしていたのは、少なくとも何だかの事情があったのではないかと思うのだ。

 こういう「うがった見方」を更に進めていくと、個人的に今でも腑に落ちない部分にたどり着く。それは、実力も経験もゆたかなあの構成作家陣(鶴間氏、有川氏、舘川氏)が、小林・木村の両氏を招き続ける事でリスナー人気が下がっていっている、という事実を「見逃すはずはない」、という事だ。コサキン終盤の時点で、あの構成作家陣がそういう状況をわざと見逃していたかのような感があったことについては、やはり釈然としない部分が残るのだ。なので結局個人的には、小林・木村の両氏を「引っ張りすぎた」ということ以上に、そういう状況をわざと許していたかの様な当時のコサキン制作サイドの方に、いまだに疑問が残ってしまっている感じだ。



[3] コサキンの2人が(若干)大人になってしまった

 コサキンの終了時点で、2人とも50歳を優に超えていたので、ある程度はしょうがないと思うけど、それでもやっぱり、特にコサキンの終盤あたりで、正直リスナーが冷めてしまうような「大人」な発言が多くなっていった(特にムックン)という状況は、確かにあったと思う。

 これはコサキンの2人自身も度々言っていたことだが、「コサキンの2人の『幼稚性』や『子供過ぎる部分』」が、何よりもコサキンが支持された理由のひとつであった事は、間違いない事実だったと思う。なのに、特にコサキン終盤あたりで、「芸能界は華やかに見えるけど実は…」みたいな話が出たり、「現実はそんなに甘くない」的な、ある意味「当たり前」な教条的なセリフが2人から出たりしたのは、長年コサキンを支持し続けた私としても、正直がっかりな部分だった。

 このへんについてはっきり言わせてもらえば、コサキン2人が50歳過ぎになって到達した「大人」ぶりより、リスナーの大半の方がすでに、昔からよっぽどはるかに「大人」だった。そういう、ある意味成熟した「大人」のリスナー達が、自分達にはないモノを求めるかのように、コサキンの「子供ぶり」に魅了されていたというのに、それをコサキン自ら否定してしまうような言動をしてしまったら、正直どうしようもない。

 まあさすがに、この件がコサキン終了の直接的原因になったとまでは思わないけど、コサキン終盤あたりでリスナー人気が衰退していった理由のひとつには、十分なっていたと思う。コサキンリスナーとしてはやっぱり、コサキンの2人には、ピーターパンと全く違った意味での、「永遠の子供」であって欲しかったと思ってしまうのだ。(ピーターパンと同じに扱うには、コサキンはあまりにも邪心が多すぎる…)



[4] 「東方神起」問題

 コサキン終了の直前と言えるタイミングの、2008年6月21日の放送で、当時の「東方神起」がゲストとして呼ばれているが、あの時の状況は、正直ヘビーリスナーの私にとっては「異常」に思えた。当時、異常なぐらいの人気を得ていた東方神起がゲストに来る、という事で、その前後で明らかに異常な状況が作られてしまったように思う。具体的に言うと、その放送の前は、コサキンにしては異常なぐらいの扇動的な広告や報道がされてしまっていたと思うし、放送後は明らかに普段絶対にコサキンを聞かないような層からハガキが来るなど(60代の女性からとか)、長いコサキンの歴史の中でも、明らかに「異常」な空気が漂っていた。

 この件で推察できる事として、普通の人からすれば「異常過ぎる」コサキンが、特にそういうアレルギーを起こしやすい幅広い年代の女性層に広まってしまった、という事があると思う。「東方神起が出るから」という理由で初めてコサキンを聴いたそういう人達から、「何だあの番組は!」的な抗議が殺到したであろう事も。

 ただ、単純に大物芸能人がゲストとしてやって来る、というのは、コサキンの歴史上、結構数多くあったことではあった。なので、前述したのと似たような状況も、コサキンは何度も経験してきたと思うが、さすがに当時の東方神起ほどの、異常なぐらいの人気を持ったアイドルがやってくる、という話までは、そうそうなかったと記憶している。加えて、「それ以前」なら、例え大物芸能人がやってきて、結果的に「何だあの番組は!」的な抗議が殺到したとしても、コサキンの人気や体力的に、十分持ちこたえられていたと思う(実際そうだったし)。ただ、あのタイミング(コサキン終盤で人気も若干衰退していた頃)で、東方神起ほどの人気アイドルが来た、というのは、色々不運な部分が重なってしまったのではないかと思う。つまり、数多くの東方神起ファンから殺到したであろう抗議的な動きに対して、コサキンはあの時点ですでに、それに耐えうるだけの人気も体力も失ってしまっていたのではないかと。そしてそれが最終的に、「コサキン終了」の原因の一部分になってしまったのではないかと、個人的にそう思うところがあるのだ。



 それなりにコンパクトにまとめるつもりだったこの記事だが、この時点で結構な文章量になってしまっているので、このあたりで締めようと思う。まあとにかく、コサキン終了の理由として、終盤で担当した女性ディレクターに対するセクハラ言動が問題になったかもとか、あるいは終盤で呼んだある大物芸能人の番組に対する呆れっぷりが芸能界的に広まってしまったのかも知れないだの、挙げようと思えばホントにキリがないのだが、個人的には結局、ここで挙げた[1]のリストラ部分や、[2]の小林綾子・木村大作問題が、一番大きい部分ではないかと思う。

 まあホントに、今(2017年)となってみれば、全然不況がやまない状況の中、コサキンを2009年まで、27年半もの間続けてくれたという事は、ある意味賞賛に値するかも知れないけど、それでもやっぱり、少なくとも私個人としては、あの「くだらない」放送をずっとずっと続けてほしかったと、今でもそう思ってしまうのが正直なところである。


PS. 一応最後にも書いておくが、私個人はホントに単なる普通の一般人であって、ここに書いてあることも一般人による個人的見解を書き連ねただけに過ぎない。なので最低、この記事の内容を変に真に受けたりとかはしないで欲しい。
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