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はっきり言って、「体育会系のノリ」は嫌いだ

 日本における、「体育会系のノリ」というものは、はっきり言って、私は嫌いだ。さわやかだとかそういうプラス面もあるとは思うけど、特に日本の場合、それ以上にマイナス面が多すぎる、と私は思う。

 例えば、学校での部活。部活は任意参加であるはずなのに、休んだりするとビンタが飛んでくる場合だってある。実際、私の中学時代の友人が、理由があって休んだのに、担当の体育教師からビンタをされたことがあったと語っていた。部活で、こんな「無法」な状態があること自体、ひどいと思う。

 また、体育会系の部活というと、まず必ず連想されるのが「しごき」である。今現在、スポーツ理学等の研究がかなり発達し、無意味な「しごき」はスポーツ的な成長には逆効果であるとすら言えるのに、いまだ日本の部活では「しごき」がまかり通っている。これもホントにひどい。また、似たような形として、「部活中は水を飲むな!」という、とんでもない指導者もいまだに存在するだろう。日本の気候、特に夏においては、しょっちゅう水分補給しなければ逆に危ないというのに・・・

 こういった、「体育会系のノリ」が極まった存在が、「体育教師」と言えるだろう。体育教師が変わり者が多い、という私の主張には、おそらく結構な人が賛同してくれると思う。それぐらい、学校における「体育教師」とは、浮いた存在なのである。

 例えば、私の中学時代の例で言うと、1クラスをいくつかのグループに分け、そのグループの中の1人でも何らかの失態があると、「連帯責任」という言葉を持ち出して、罰走させるような体育教師がいた。グループに分けるまではともかく、その後の「連帯責任」とか「罰走」とかは、はっきり言って意味わからない!実際私は、私自身は授業をマジメに受けていたのに、同じグループの人間がふざけていたという理由で、授業が終わるまで「罰走」させられた過去がある。全くもって理不尽な話だ!・・・この教師のせいで、私は「連帯責任」という言葉が大嫌いになった程である。

 この他にも、体操着を忘れたら裸で授業を受けさせたりとかいった教師も存在した。私は受験を控えた中3の冬、体操着と間違えて体操着によく似たトレーナーを持ってきてしまった時に、これをやらされる羽目になった。裸でやらされること自体、全然納得できないのに、受験を控えた中3の冬という時期にすらそれをやるのはどういうことか!?と、当時も今も、内心で憤らずにはいられない。

 ・・・こういう、「体育教師」に変わったヤツが多いのは、いくつかの理由があると思うが、その理由のひとつは、その体育教師自身が、ずっと「体育会系のノリ」の中でやってきて、それを生き抜いてしまった結果、それが正しいと思っている節があることだろう。もう少し砕いて言えば、常に厳しい指導や視線にさらされて学生時代を過ごした結果、そういった指導方法が正しいと思いこんでしまった存在が、体育教師なのだと言える。・・・ただ、例えそうだとしても、そういった輩に我々が「感染」させられる理由などないはずなのである。


 とにかく、私は「体育会系のノリ」や、そういったものの集大成である「体育教師」の大部分が大嫌いである。特に日本においては、指導は何でも厳しくすればいいと思ってる節が多すぎるのが、何より気に入らない。エリート育成とかの目的がそんなにない普通の中学・高校の部活ですら、こういった風潮があるのは、ホントに嫌だと私は思う。スポーツは楽しんでやるものではないのか!?と、大声で言いたい。実際、私はこういった側面によって、体育会系の部活には所属しなかったが、大人になってからスポーツクラブに通って、初めて「スポーツって楽しんでやるものなんだ」ということを実感した。これは逆に言うと、そういうことをなかなか実感させない部活の現状や、大半の体育教師の行う授業がどれだけつまらないものか、ということの、いい証左だと思う。


 それにしても、日本の体育会系世界における(あえて「スポーツ界」とは書かない)、とにかく厳しくすればいい、みたいな風潮は、そろそろいいかげん変わって欲しい。「体育会系のノリ」の最先端であるオリンピックの事前合宿ですら、いまだに「とにかく厳しくすればいい」みたいな風潮が見え隠れするからだ。人を思いっきり単純に2種類に分けても、厳しくして伸びる人と、褒めて伸びる人とに分かれるだろうに、いまだに「厳しく」の一辺倒なのは、本当に何とかして欲しいと思う。・・・このあたりの事情に、いまだに体育会系世界の重鎮とかやらが全然注目出来てない事自体が、最近の日本のスポーツ人気全般が下降線なことにつながるんじゃないかな?
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