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「郵政選挙」で「民主主義」を根本から踏みにじった「社民党」と、社民党議員「保坂展人」

 もう結構古い話になってしまったが、過去の衆院選挙で起こった、「一般的にはあまり知られていない」、しかし「『民主主義』の原則を根本からくつがえした」重大な出来事を、風化させないという意味においても、ここに記しておくことにする。


「郵政選挙」と言われた2005年衆議院選挙で、社民党の保坂展人(2011年時点で世田谷区長)は、「『保坂展人』に対して入れられた票」でもない、「『社民党』に入れられた票」でもない「票」によって、「当選」した。

 これだけでは「?」であろうから、この「事実」についての解説を、以下にまとめる。

 2005年の衆議院選挙の際、小泉元首相が郵政民営化を全面に打ち出して、自民党の大圧勝に終わったいわゆる「郵政選挙」と呼ばれた選挙で、それは起こった。周知の通り、この選挙は自民党が大圧勝したが、そこでひとつの副産物が生まれた。比例区の東京ブロックにおいて、あまりの圧勝ぶりのため、比例名簿の末端に至るまで、全員が当選になってもまだ足りず、1議席分余ってしまった。その1議席分がどうなったかというと、何故か社民党に配分されてしまい、その恩恵を社民党議員・保坂展人が受けたわけである。

 つまり、社民党議員・保坂展人は、比例区・東京ブロックで、「『自民党』や『自民党の候補者』に入れられた票」によって当選したのである。前述の--「『保坂展人』に対して入れられた票」でもない、「『社民党』に入れられた票」でもない「票」によって、「当選」した。--という文は、この事を指す。

・・・これが「民主主義」を大原則とした日本の「総選挙」において、許されるべき話だろうか!?


 この話については、選挙直後の当時、この話以上に、自民党議員に「なってしまった」庶民議員・杉村太蔵氏の「浮かれっぷり」の方がマスコミ的に話題になっていたため、結果的にほとんどの人がこのパラドックス的事実を知らない。・・・だがしかし、上記に書いたことは厳然たる「事実」なのである。


 「民主主義」とは、人類が永い永い歴史を歩んできて結実された、少なくとも近年において、最も優れた政治手法のひとつである。・・・人間は、いつの世も、どうしても「救世主」的存在を求めがちであるが、過去の歴史を見ると、そうやって「救世主」的にあがめられて、「国王」なり「皇帝」なりになった「独裁者」は、施政の最初の段階はともかく、絶対的権力を得て以後、ほぼ例外なく「暴君」と化してしまっている。国民が「自分達を救って欲しい」という願いで「独裁者」に祭り上げた人物は、その絶大すぎる権力や集中してくる富という麻薬に酔ってしまい、ほぼ必ず悪い方向へ「変質」してしまい、救うべき国民を逆に虐待(時には虐殺まで)してしまうのだ。

 こういった、ほぼ必ず「変質」してしまう「独裁者」一人に国全体の責任を任せてしまう事の危険性を回避するために生まれた思想が「民主主義」と言える。民主主義においては、かなり小さな権利と義務ではあるけれども、成人ひとりひとりが「投票権」を持ち、それを行使することによって、その国の政治的方向を決めると共に、その結果に対して有権者全員が責任を持つのである。どんなにいい状況、あるいはどんなに悪い状況になろうと、「民主主義」下で行われたそれは、有権者全員がそれを決め、有権者全員がそれに対して責任を負っているのである。・・・すぐに「変質」してしまうであろう「独裁者」ひとりに全てを任せてしまうのではなく、どんなに愚かだとしても、凡人が寄り集まって、無い知恵を出し合って結果や方向性を苦しみながら打ち出していく・・・これこそが「民主主義」の本質なのである。それがどんなに実のない「建前」であっても、そういった作業がどれだけ迂遠なことであっても、そういった政治手法が、永い人類の歴史で考え出された最良の答えのひとつであることは間違いなく、そしてそれを、日本という国と国民は、選択し実施しているのである。・・・例え「裏側」の「事実」がどんなにその「理想」に反していても。


 ・・・・・・ところが、前述の通り、社民党とその議員・保坂展人は、こういった苦悶の末に実施されている「民主主義」を、堂々と無視して踏みにじってしまった。--自分に入れられた票でない、自分の党にすら入れられた票でない「票」によって、「当選」を享受した--この事実は、「民主主義」に対する背反行為と呼んで差し支えないだろう。

 私個人の考えを言うと、「余った『当選枠』」が廻ってきた時、社民党と保坂展人はそれを拒否すべきだった。例えどんなに社民党が苦しい状況だったとしても、最低でも社民党の「民」が「民主主義」の「民」である以上、自分達が掲げる政治思想を全国民の眼前で踏みにじるようなことはやってはいけない。いけないのだ。・・・個人的な考えを更に言うと、この件については他の政党全てこの「余った『当選枠』」を拒否し、その票の本来の行き先である自民党に、何だかの形で帰すようにすべきだったと思う。・・・例えそれがどんなに「きれいごと」だとしても、それが「民主主義」における選挙の在り方であると私は強くそう思うし、第一、一番「民意」が反映される場である「選挙」においてすら「きれいごと」を言えないとすれば、一体今の政財界のどこで「きれいごと」を言える場所があるというのだろうか!?


 とにかく、最後に確認として、もう一度明記しておく。

「郵政選挙」と言われた2005年衆議院選挙で、社民党の保坂展人(2011年時点で世田谷区長)は、「『保坂展人』に対して入れられた票」でもない、「『社民党』に入れられた票」でもない「票」によって、「当選」した。

・・・この「民主主義」に対する「裏切り行為」は、「民主主義国家・日本」において、決して見逃してはならない「事実」である。


P.S. この記事を書くにあたって、私個人の感情、すなわち「保坂展人に対する私怨」がなかった、といえば、それは嘘になる。しかし、それ以上に、私自身は「民主主義」の熱心な一信奉者であって、だからこそ、こういった「民主主義の裏切り行為」が前選挙で公然と行われ、かつスルーされていたことを、見逃すわけにはいかなかったのである。


P.S.2 最近、この話は、まさしく「法の抜け道」を駆使した「合法行為」ではあるものの、民主主義を大原則とする日本国憲法に照らし合わせれば、激しく「違憲」なのではないかと、私個人はそう思うようになってきている。
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