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3度もいじめられた経験のある著者が思うこと -- 「いじめ自殺は、ある意味正しい選択である」

 事実として、私は今までの人生で、3度もいじめを受けている。1度は小学3~4年の時、1度は中学1年の時、そして3度目に至っては、何と精神科デイケアにて受けてしまっている(診断はされてないが、この件はPTSDだと確信している)。いじめに「類すること」まで範囲を広げると、更にもっと項目を増やすことが出来る。高校生活全般での「冷ややかな仲間はずれ」(偏差値がそれなりに高い高校だったので、露骨な「いじめ」こそなかったが、その代わりに、ある意味「丁重に」「仲間はずれ」された)や、いじめ関連のボランティアにおける「裏切り」(明確にPTSD認定されている件)などを中心に、枚挙に事欠かない。

 そんな「いじめられ」経験豊富な私が、危険な発想だとわかっていつつ、確固たる思いとして述べる主張はこうである。

--「いじめ自殺は、ある意味正しい選択である。」
--「のみならず、とても勇気ある行動であるとすら言える。」

 なぜここまでのことを思ってしまうのか・・・。豊富な「いじめられ」経験に基づき、自己分析してみたいと思う。


 まず第一に、「いじめられる人間」というのは、こと日本においては、周りが「変わっている」と思うような人間であることがほとんどである。「いじめる」人間の立場からすれば、「ウザい」とか「浮いている」とか思わされる人間である、と言い換えることが出来る。
 しかしそもそも、「いじめ」を受ける段階の以前に、「変わっている」と思われる時点から、その人間の不幸は始まっている、と言っても過言ではない。「いじめ」の代表的舞台である、小学校の場合を例に取ると、だいたい「いじめ」のターゲットにされるのは、マジメ過ぎる子供であったりとか、友だちとうまく付き合えない子供だったりすることが多い。そして、この段階で既に、こういった子供の「不幸」は始まっている。

 「マジメ過ぎる子供」というのは、そもそも、何だかの異常が家庭や周りの環境にあるという可能性が高い。子供--特に小学校年代のそれ--は、多少わがままなくらいがある意味「当たり前」であって、それは家庭や周りの環境がある程度「正常」な状態で、初めて許されることである(当の小学生本人は全く意識しないことではあるが)。・・・逆に言うと、家庭や周りの環境に何だかの異常があると、子供は「当たり前」でいられない。--例えば、親が暴力(DV)等を振るうような家庭であれば、当然「わがまま」ではいられないし、また親が不必要にしつけに厳しかった場合などでも、子供は「怒られる」のを回避するために、親が期待する「姿」である「マジメな子供」を、「ほぼ無意識の内に」「演じてしまう」。もちろん、家庭や周りに「異常」がある場合の子供のケース、というのはこれだけではないが、少なくとも、周りから見て「変わっている」と思われるような子供が出来る要因としては、充分である。そして、そういった「変わっている」子供が、「学校」では「いじめ」のターゲットにされてしまう・・・。不幸の2重苦、3重苦もいいところである。

 そしてこういった子供の「不幸」は、おそらく、それ以後の人生も続いていってしまう場合が多いのだ。まず、「いじめ」を受けたことによって、人との付き合い方を正しく学べない、という弊害が起こるし、家庭や周りの環境にある「異常」が治癒されなければ、その子供の「変わっている」度合いは更に増すであろうから、この2つのファクターが混じり合えば、2度目3度目の「いじめ」に遭う可能性は限りなく高くなってしまう。そして実際に更なる「いじめ」を受けてしまえば、こういったことは、デフレ・スパイラル以上の悪循環となって、その子供をどんどんと底なし沼へ引きずり込むことだろう。そして現実問題として、更に厳しいことには、社会人になってからすらも「いじめ」は存在する、ということだ。社会人以降にもなると、自殺まで行かない限り、まず報道されたりはしないから、事実としての認知度は低いが、確実に社会人以降も「いじめ」という概念は存在するのである。--そして、こういったことを「いじめられ」やすい人間が「認識」することは、正に「破滅の歌」を大音量で聞かされることに他ならない。・・・だって、いくらがんばって生きてみても、「救われようがない」ってことなのだから。

 こういった子供が、その不幸すぎる境遇に「不条理さ」を覚え(だって、当人にはこうなった「責任」はほぼ皆無なのだから)、例えば思春期あたりに、家庭内暴力なり不良になるなりの手段によって、無理矢理にでも「現状打破」の行動に訴えることが出来るのなら、まだ救いがある。・・・しかし、今回取り上げた「マジメ過ぎる子供」というのは、まずそんなことは出来ない。「マジメ過ぎる」子供にとっては、「家庭内暴力」なり「不良になる」なんてことは、「犯罪」と同じ以上に「悪いこと」であるから、とてもそんな「犯罪行為」などは出来ないからだ。こういった子供は、それまで重ねてきた「マジメ過ぎる」人生によって、「理性」が過剰に発達している場合が多いから、なおさらである。・・・結局、こういった人間は、過去も現在も未来も、「救われようがない」のである。


--話を戻して、「いじめ自殺は、ある意味正しい選択である」、という主張を改めて検証しよう。そもそも、いじめを受けて自殺を考えるような子供は、「マジメ過ぎる」子供である場合が多い。「マジメ過ぎる」からこそ、過剰に思い詰めてしまって(特に「自分が悪い」という方向に)、「自殺」にまで至ってしまうのだ。そしてそんな子供が、仮に生き続けたとしても、待っているのは上記に述べたような「救われようがない」未来なのである・・・。そんな、「『救われようがない』未来」に生きている私が言うのだから、少なくとも間違いではない。


 不幸のデフレ・スパイラルの中で生き続けてしまった私は、いつも思う。「最初に『自殺したい』と思った時(小5の時)、自殺していれば、どんなにマシだったか・・・」と。今に至るまで自殺しなかったのは、単に「恐かった」からだけであって、そんな理由で生き続けても、いいことがないばかりか、更に更に傷つけられた私などは、いつも思う。「『いじめ自殺』は『とても勇気ある行動である』」と。私は昔も今も、そんな「勇気」をひたすら欲してやまない・・・・・・
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